久しぶりの名著
総合政策学部准教授 立花顕一郎
正月休みの間に、アメリカ研究の古典的名著を約30年ぶりに読み直してみようと思い立った。その本は3分冊になっている大著なので、まとまった休みが取れる時にしか読めないのである。本棚のどこかに確かにあったはずだと探してみたら、『中巻』と『下巻』はすぐに見つかったが、『上巻』だけがどうしても見つからない。しかたがないので『上巻』だけ買い直すしかないかなと思ったが、なにぶんにも古い本なので、絶版になっているかどうか調べてみてから本屋に行くことにした。ただし、わざわざ駅前まで出かけて行って、無駄足になるのは避けたいというのが真冬の心理である。自分の読書欲と怠け心が綱引きをした結果、インターネット検索の出番となった。いざ調べてみると、案の定、求める本はずいぶん前に絶版になっていた。ところが、ありがたいことに、その本は別の出版社が4巻に分けて出版しているということが分かったのである。
そこでさっそく駅前まで出かけることにした。駅前でバスを降りて、本屋に向かって歩き始めるとすぐに古本屋の看板が目にとび込んできた。そのとき、ひらめいたことは、古本屋に行けば、絶版になっている『上巻』が見つかるかもしれないし、もし見つかれば新刊本を買うよりも財布に優しく、しかも資源の有効活用にもなるかもしれないということだった。こんなふうに、一見、完璧なプランにこそ往々にして問題があるのだが、そのことに気づくのは、ずっと後になってからである。
その古本屋に入るのは初めてだったが、思った以上に混雑していて驚いた。そして、改めて古本への需要が底堅いことに気づかされた。最近は、評判を呼んだ本でもわりあいに短期間で絶版になってしまうことが多いし、売れ行きが悪いと初版だけで再版されない本がたくさんあるらしい。そんな本でも求めている人たちからすれば「宝物」だ。たくさんの本棚の列の中には、私の目当てもあるに違いない。しかし、いざ宝探しを始めると探せども探せども見つからない。小一時間ほど虚しい時間が経った後、一冊の本が目にとまった。しかし、それは絶版の『上巻』ではなく、新しく出た4巻本のうちの第1巻だった。
しかたなく、その第1巻を定価の半値程で買って帰り、家で読み始めてみると、さすがに名著と言われるだけのことはあり、著者の慧眼を示す名文に触れることができてとても幸せだった。それを読み終えて、続きを絶版の『中版』で読み始めた時、すぐに「あれっ」と思った。読んでも読んでもさっぱり理解できないのである。それほどまでに『中版』の翻訳はひどかった。名著も翻訳の出来次第で駄作にもなる。読めば読むほど腹が立ち、結局、4巻全てを新訳で揃えることになってしまった。しかも、1巻以外はすべて正価で購入したので、結構な出費となってしまった。