カタカナ専門用語は使いたくないのだが…
総合政策学部 講師 石田 裕貴
経済学の大学院に入学し初めての研究セミナーに出席した。外国からの留学生を除いてほとんどが日本人の参加者にもかかわらず、部屋の中を活発に飛び交う(助詞以外の)言葉が、聞いたこともないカタカナ専門用語ばかりで圧倒された。「このオプティマルなソルーションがユニークであることは、プロダクション?ファンクションがコンティニュアスであるというアサンプションによってトリビアルである(この最適な解が唯一であることは、生産関数が連続的であるという仮定によって自明である)」など。
発表者の論文が英語で書かれたものの場合、その論文中のカタカナ専門用語を用いて議論が進んでいくので、おのずと連発されることを後に知った。専門家同士がお互いにある程度の専門知識を共有しているために為せる業である。とはいえ、参加者の専門分野が完全に一致しているわけではないのだから、もう少し理解しやすい用語や日本語訳が選ばれるべきではないのか…、と感じざるをえなかった。
時を経て教員になった私は自分の専門分野(金融論)を講義するのに、発話や黒板の中でカタカナ専門用語を連発させている。「ファイナンシャル?クライシス(金融危機)を未然に防止しようと、マクロプルーデンス政策(金融システム全体の健全性を維持する政策)には資本保全バッファー(緩衝材)やカウンターシクリカル(反循環の=景気循環を抑制する)?バッファー部分が導入されている」など。
講義を聞いてくれる学生は、きっと昔の私と同じように混乱しているにちがいない。しかし、最新の金融のトピックはグローバルな話題として海外から入ってくることが多いので、どうしてもカタカナ専門用語に頼らざるをえない。日本語に存在しないか訳しにくい概念である場合、それを無理に訳出すると本来の意味を損なってしまうか、分かりにくく長ったらしい説明口調になる。そのため、金融業界や学界では、あえて日本語訳に直さないそのままのカタカナ専門用語が使われることが多いように思われる。私も独自に日本語訳を考えるよりも、それを踏襲した方がよいであろう。
というわけで私はカタカナ専門用語を使っている。カタカナ専門用語は、学生にとってなじみの薄い金融への最初の取っ掛かりを一段と高くしていると思うが、その本質部分の理解はそれほど難しいわけではない(と思う)。学生がラベルに惑わされないように、何をどのように教えていくべきか、試行錯誤中である。