黄河改道
2018.04.26
総合政策学部教授 王 元
総合政策学部教授 王 元
『総合政策論集』第17巻に「中鎮の停滞」というタイトルで我が故郷臨渙の停滞について論じた。
臨渙の停滞の一つ大きな原因は「黄河改道」にあります。つまり黄河が流れを変え、淮河から海に(または長江に)流れ込んだということです。
水量がとても減っていることで最近静かになってきた黄河ですが、歴史上、改道や氾濫をくり返してきました。黄河の改道は黄河自体の流れが変わり、洪水災害を引き起こすだけの問題ではなく、氾濫流域の既存の河川に大きな影響を与えるのです。そして、広義的な「黄氾区」(学術的には「黄(河)淮(河)堆積平原」と呼ぶのが正しいでしょう)を残すこともあります。黄氾区は洪水が引き上げてから手間を掛ければ肥沃な耕地となり、農作物をはじめとする果実等の栽培にも適する地で、地域の経済にプラス効果が大きいのです。問題は既存河川及びその地下水脈も同時に変化が起きることです。これで永遠に消滅した河川も少なくありません。
澮河は黄河改道から大きな影響を受けました。消滅こそしませんでしたが、水量の変化により運航水道としての価値が時々に変わることで地域の安定、成長に影を落としました。漁獲高の変化はむしろその次の問題として存在します。
唐代日本の僧侶、円仁の『入唐求法巡礼記 』には山東半島から西の五台山へ、さらに南の長安への旅は2ヶ月かかりましたが、帰国の際に鄭州から揚州まで11日間しか、かからなかったと記してあります。当時彼が使った河は恐らく「通済渠」と思われます。それは澮河の南に並行して流れるもので、これは隋の煬帝が造った運河でした。
黄河改道にもたらすもう一つのことは、この地域内にあった無数の沼沢や湿地のことです。これらの沼沢の多くは時間が経つと自然消滅していきますが、長い年月を経て存在し続けているものもあります。その中でも有名なものは雷沢、大野沢、荷沢、孟諸沢、圃田沢です。
中国の四大古典小説のひとつと言われる『水滸伝』の舞台である「梁山泊」もその一つであります。この「梁山」は黄河の南岸、黄河と大運河と交叉するところにあります。一帯は古くから黄河の氾濫がくり返されることによって無数の水路と沼沢が生まれました。『水滸伝』では周囲800里とうたわれた大沼沢だったのです。近くに梁山という名の山があったことから梁山泊と呼ばれたそうです。泊は沼沢という意味で、今はその沼はなく、「梁山」と呼ばれています。