自分たちでつくる場
総合政策学部准教授 馬内里美
大学にあればよいと思う施設を学生たちに書かせると、商業施設もかなり多い。さらに、誰でも知っているチェーン店の名前も目立つ。改めて考えると気になることである。私たちは、おもちゃ商法に始まり日々ものを買うように仕向けられている。そして、全国どこでも同じようなショッピングモールで休日を過ごすことが日常になる。これでは、モールのなかに大学があればよいと思う学生が出てきても不思議ではない。こんなことを思いながら、あるモールに初めて足をのばした。
社会派作品を送り出している英国のケン?ローチ監督の最新作『ジミー 野を駆ける伝説』を観るためである。最近の映画で監督は、若者を取り巻いている厳しく、また気がかりな状況を描きながら、同時に問題解決へのヒントを示している。前作『天使の分け前』は「負け犬」の若者が、助けを得ながら、自分の将来を切り開いていく物語である。負の連鎖から抜け出すための支援プログラムも映画のなかで描かれている。
彼の映画は内容的にミニシアター系の映画で、シネコンにはそぐわない。ようやく最終日に行ってみたところ、私のほかに年配の男性しかいなかった。邦題をもじり「モールを駆け抜ける観客」として、シネコンでのケン?ローチの映画は矛盾であると思った。
映画の原題は「ジミーのホール」。独立戦争後のアイルランドを舞台に、実在の人物を中心とした映画である。ホールとは、村人たちが自主的な文化活動を行う拠点である。十年ぶりにアメリカから帰国した運動の指導者ジミーは、ホールを再開してほしいと若者たちから頼まれ、仲間たちとホールを再建する。そこで人々は集い歌い踊り詩を読む。その活動は保守的な人々から危険視され、ホールも炎上する。歴史も絡む複雑な背景の説明は省くが、土地を追われた小作人家族を助ける運動を起こしたジミーは、最終的に国外追放となるのである。
ラストシーンのジミーを見送る若者たちの姿は予告映像で知っていた。私は情緒的な物悲しさを予期していたが、良い意味で見事に裏切られた。若者たちは、ジミーに感謝し、自分たちがホールを続けていくと明るく力強く彼に伝えるのである。若者たちの姿は、道を示してきた監督が次世代に送るエールであろう。
大学を、充実した学生生活を送ることのできる場にするためには、店を招き入れる、つまりモール化する、のではなく、学生たち自身でホールをつくることが大切なのだと思う。