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日本近代史のエクスカーションとして、医療福祉学部2年生37名が山形市郷土館を訪問

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 去る6月17日土曜日、日本近代史(指導教官 渡邊洋一)を受講している医療福祉学部2年生37名が講義のエクスカーションとして山形市郷土館へ行ってきました。

 山形市郷土館は元々旧濟生館病院の本館として明治11年に旧山形県庁(文翔館)がある中心市街地に構築された擬洋風建築で、現在は霞城公園(旧山形城址)に移築?原状復元され、全国でも珍しい医療系の博物館となっています。同館は明治中期以降の度重なる火災等によって山形市の中心市街地が変貌していく中、唯一現存する明治初期構築の擬洋風建築の貴重な遺構ということで、昭和41年12月に国指定重要文化財の指定を受けました。しかし、当時は病院として使用されたことから建物には色々と手が加えられており、老朽化も進んでいました。そこで翌42年より足掛け4年の年月をかけて現在地に移築、保存修理が行われて創建当時の姿に戻り、昭和46年4月医療系博物館として生まれ変わりました。

 今回、山形市郷土館を訪問した目的は、勿論実際に明治初期構築の擬洋風建築を検証することもさることながら、同館が医療系の博物館であるということで、本講義を受講している医療福祉学部の学生達に同館が展示している藩政時代の医学書(『本草綱目』や『解体新書』)や明治期までの医療器具や薬事関係の実物を目にし、明治初期の病院の構造についても知識を得てもらうためでもありました。

 感染症対策で入場制限が行われていることから、受講生たちは2グループに分かれての視察となりました。そこで、1グループが館内を視察している間、待機組は指導教官が擬洋風建築の意匠の解説や同館が立地している旧山形城跡内で現在発掘調査が行われている本丸御殿の遺構を見学しながら山形城の解説も行われました。

 受講生たちは、明治期に使用されていた医療器具等を物珍しく見学していた他、正面が三層で奥が広い中庭を有する八角形の建物は、電灯がまだなく、暗い室内をできるだけ明るく見せるための工夫である事など当時の病院の構造等にも興味を示していました。また、本講義とは直接接点はないものの旧山形城本丸跡の見学では、城郭全体のプランや本丸内の井戸の跡から城郭の役割と防衛能力について学ぶことになりました。

写真

建物の構造の解説風景


一層の展示(藩政時代から明治?大正期の医療関係の展示)


中庭の様子


二層の展示(明治以降の山形市内の都市計画の状況と施設の移設の際の記録の展示)


三層へ続く螺旋階段


旧山形城本丸御殿の発掘調査の状況視察風景