ボールを投げすぎることで生じる肘の障害「野球肘」。適切な対応をとることで痛みを解消することができますが、さらに悪化させてしまい野球の道を断念せざるを得なくなったケースも少なくありません。高校時代は野球部に所属し、スポーツクリニックの勤務などを経て、東北文化学園大学では野球部の監督も務める山田先生。野球に青春を懸ける若者たちを支える使命を胸に秘めながら、投球障害による痛みの科学的な原因解明と治療の研究に情熱を注いでいます。
アスリートを苦しめる「胸郭出口症候群」とは
野球の投球で肘が痛いという症状が現れると、骨や靭帯の損傷が主な原因に考えられてきましたが、近年、神経や血管も原因の一つになると考えられるようになってきました。山田先生は、脳から伸びる神経が頸椎から鎖骨の間を通り、脇の下へ抜ける過程で血管や神経が圧迫されて痛みが起こる“胸郭出口症候群”に着目。「当初、症状が出る選手の傾向など、しっかり調査?研究がなされていない状況でした。臨床的な判断で治療が行われていましたが、しっかりとした科学的な裏付けはされてなかった。そこで、私が長年関わってきた野球の投球障害にフォーカスを絞って、痛みの原因解明について調べようと思ったのが出発点になりました」。
胸郭出口で圧迫が起こる原因を探るため 実験でデータ採取
長年、野球に携わってきた経験から、投球動作で鎖骨が後に動く時、神経を圧迫していることはなんとなく分かっていたと話す山田先生。実際にどんな状態になっているのかを実験で調べることから研究がスタートしました。動きをシンプルに捉えるため、本来の立って投げる姿勢ではなく、座った状態で台の上に肘を乗せ、投げるような動作を実演。被験者には肩峰と肘頭に磁気センサーを装着してもらい、肩の動きをつぶさに観察しながら投球動作時の鎖骨運動角度を計測します。胸郭出口症候群の症状が出る選手と出ない選手の両方でデータを採取し、その比較?検討を行うのが山田先生の手法です。「観察を重ねる内に、症状が現れる被験者は肘を後に引き過ぎる傾向があることが分かってきました。そこから、どうしてこの動作が痛みを引き起こすのかを追求するのが次の段階。これを明らかにすることで、具体的な治療やリハビリテーションの考案に移行することができると考えています」。
磁気センサー式三次元位置計測装置(図左)を用いて、投球様動作時の鎖骨運動角度を計測
投球動作の観察実験を行う意義と利点とは
山田先生が胸郭出口症候群の研究に取り組みたいと思うようになった背景には、一緒に野球研修に取り組んでいるスポーツドクターや理学療法士の指導教官が、この痛みに苦しむ患者の診断や治療に苦慮していた経験に触れたことが大きかったそうです。「これまで診断上で野球肘だと大雑把に区分されていた症例を、もっと細かく調べてみたら神経の障害で痛みが起こっているのではないかと考えられるようになりました。でも、それを言い切るほどのデータもなく、あまり追求もされていない状況でした」。そうして突き詰めた胸郭出口症候群ですが、元々はアスリートの疾患というわけではなく、なで肩の女性に多く発症する傾向も見られます。また、両腕に痛みが現れる症例もあるそうです。「野球選手は、いつも利き腕で何度も同じ動作を繰り返すので、一連の動作の中から痛みが起こるポイントを特定しやすいんです。だから、研究の対象にするのは最適だと言えます」と、投球動作に特化した研究手法のメリットを教えてくれました。
痛みの原因を突き止めて改善へ向かう治療や指導を
宮城県内の高校野球部でトレーナーとして関わる経験を持ち、若者たちの障害予防やパフォーマンスアップなどを長年支えてきた山田先生。NPO法人スポーツ医科学ネットワークの立ち上げにも関わり、少年野球などを対象にスポーツ障害の発生予防と早期発見にも努めてきました。「少年野球などで頑張る子どもたちは、練習や試合で感じた痛みをちょっと休めば治ると思いがちで、なかなかよくならないから病院に来たという事例が多々ありました。胸郭出口症候群が痛みの原因だと特定できないままの子どもたちが、潜在的にたくさんいるのではないかと危惧しています。投球練習を重ねていくうちに、ボールのコントロールが難しくなってきたと感じたら胸郭出口症候群を疑ってほしいですね」と、痛みを軽視しがちな現状に警鐘を鳴らします。手術による治療が必要になるケースもありますが、理学療法士として症状を抑える方法があると強い確信も持っています。「診断は医師が行いますが、正しい判断の下で治療することが大切です。患者本人にも痛みが発生する条件や仕組みを理解してもらい、何を改善すべきか科学的な見地で対処、指導できるよう目指しています」。
実際の投球フォームを実演しながら説明する山田先生
アスリートの活躍を守る研究の完成を目指して
尊敬する野球部の先輩が「将来は、高校野球の監督をしたい」と表明した思いに共鳴し、自らも理学療法士として野球に関わる人生を歩んできた山田先生。「ひどい腰痛で野球ができない時期があって、とても悔しい思いをしました。そういう経験をした人たちってたくさんいると思うんです。今でも、大事な大会間際でテーピングや湿布などで応急処置し、症状がひどくなってから病院に駆け込む患者も絶えません」と憂慮します。「投球動作の問題は、やはり野球の技術的な指導の部分に関わりますから、現場の監督やコーチなどと考え方の共有が必要となりますので、医療の専門でない人に十分な理解を求めるのは、多少の時間と努力を要すると感じています」とも話します。それでも、スポーツ障害の予防や治療の発展的な未来を確信しており、「私たちのようなスポーツ医療を専門とするセラピストや現場で選手と接するトレーナーなどに胸郭出口症候群への理解を促しながら、その的確な対処法をスタンダードなものにしていければ、痛みで野球を断念するような若者は減ると思うんです。そのような未来を1日でも早く実現したいと思う気持ちが、研究に取り組むモチベーションになっています」と熱っぽく語ってくれました。